Planted Revolution Vol.2 栗林 隆インタビュー
「芸術の使命は、自然を模倣することではなくて、自然を表現することである。」これは文豪バルザックの言葉。「Planted Revolution」では、花や樹木、植物などをモチーフや素材として用いているアーティストに、それぞれの自然観から作品作りについて語っていただく。第2弾は、美術館の中に巨大な林や山を出現させた、アーティストの栗林隆。森美術館「Nature Sense」の作品を中心に、作品に共通する自然観や「境界」についてうかがった。

《ヴァルト・アウス・ヴァルト(林による林)》/2010年/和紙、パルプ、植物、霧
まずは、林の作品「ヴァルト・アウス・ヴァルト(林による林)」について。栗林さんは、この作品のように視点を少しずらして「覗く」作品を以前から作っていますがそれにはどういう意味が込められているのでしょうか。
あちら(彼岸)とこちら(此岸)の世界の間に立つという感じでしょうか。僕らってそういうところに住んでいて、自然と人工的なものの間、狭間というかその間にある状況をあぶりだしています。
「境界」に興味を持ちだしたのは、ドイツでの生活が影響しているのでしょうか?
ドイツの生活に発端はあるかもしれません。日本画の古い琳派の人たちが持っている空間認識のし方や、間仕切りといった、日本人が本来持っている空間意識が自分の中にはあって。季節感とかもそうですよね。海外に行った時に、自分の中のそういう土台が浮き彫りになったんです。また、ヨーロッパの人たちは国境に対しての意識が強い。僕が行った90年のはじめはベルリンの壁が崩壊した直後で、そういう機運を感じられる時期だったというのもあります。
境界っていうのは得体の知れないパワーを持っています。国境、水面、人間もそうですよね、それぞれに必要な距離があって、間にはエネルギーがある。作品では、そういうことをひとつずつ逆算的に実証しています。小さい頃、よく海にもぐっていて、海に入るっていう感覚と空気の中に入るっていう感覚を持っていました。

自然と人工的なものの境界について教えてください。
「人工物」というのは人間が作ったものですよね。じゃあ人間は何かというと「自然」。人工と自然との曖昧な境界の間には必ず人間が立っているんです。自然と人間がどういう付き合いをしているかというと、自然にはものすごく驚異があって、その自然から人間を守るという意味で壁を作ってしまう。そうして、自然をシャットアウトしたにもかかわらず、自然がないと生きていけない。だから人間は、公園とか庭を作るんです。じゃあ公園や庭は人工かと言われたら、公園の中にいる昆虫や動物や植物は何の偽りもない自然。自然と人工の境界に人間は立っているけれども、どちらも自然なのではないかと。
植物や自然をモチーフとして用いているのは、自然と人工の「境界」を見るため?
そうですね。「自然とは何なんだろう」といつも考えていて。山の作品を作ってみて「山とは何か」を考える。そうやって作品を作りながら、一つひとつ確認していっているような作業です。例えば、今回の落葉松も立ち枯れている落葉松を使っています。日陰で育ちが遅く立ち枯れていってしまった木を用いています。日陰と日向、生と死の境界に生きている植物を引き抜くことで、またその境界について考えています。
作品については、表面的な部分も多いんです。木のインスタレーション「ヴァルト・アウス・ヴァルト(林による林)」は、紙は木からできていて、その紙で木を作る、自分たちが当たり前と思っていた素材をもう一回考え直してみたんです。紙を紙として見ると、ただの紙なんですけど、ああいうかたちにしてみると、自然の一部なんだなということが分かる。

《インゼルン 2010(島々2010)》/2010年/黒土、鹿沼土、植物、アクリル
「インゼルン2010(島々2010)」という作品について。これは、4メートルほどの山の頂上部分を切り取ったところが世界地図に見えるという作品です。こんな大きな山を美術館の中に作るというのに、まずは驚きました。
地球が何故丸いかとか、なんで飛行機が飛ぶんだとか、地動説や天動説といった考え方が時代によってありますよね。そういう地球の成り立ちが、僕の中ではあの作品なんです。根が生えて地球があると考えるのが、安心感があるような気がするんです。山を登っていった一番最後の部分が世界地図になっているわけなんですが、あそこまで登ってその人が立つラインが世界地図が見えるラインと同じ。人間っていうのは、そのレベルなんですよ。古い人たちが考えてきた宇宙の縮図みたいなものを、客観的に見せるためのインスタレーションなんです。

《YATAI TRIP(ヤタイトリップ)》/2009-2010年/一輪車、木材、苔
最後の作品これは屋台、ですよね?
人間同士の境界の話になると、これがまた面白い。動物は動物でコミュニケーションがあるし、人間同士だって自然と自然なのになかなかうまくいかない。そこに、この屋台を置いて開くことでその空間と、人間の距離感が変わるんですね。その変化する「境界」を感じてもらえればと。それには、この屋台の構造も重要で、一輪車で出来ているんです。なぜ一輪車を使っているかというと、まずは調達しやすいということ。どんな国にもあって、労働者階級の人たちを含めて誰でも知っているものです。「不安定である」というの重要なポイントです。人の手を借りないと運べないんですよね、そこにコミュニケーションが生まれる。
屋台には、人を集めるさまざまな要素が含まれているんですね。
そうなんです。屋台は、移動可能で空間に変化をもたらす装置なんです。閉じている時はオブジェとしてその場に存在し、開いた瞬間に周りの人たちを巻き込む空間を生み出す。海外でインスタレーションをすることが多いんですが、行った先ではその場所で材料を調達して二体の屋台を造るんです。一体はその場所に置いていき、一体は持ち帰る。現地で材料を集めるから、同じ作り方でもその土地によってまったく違うものができるから面白い。今回は以前にソウルで行ったインスタレーションを展示していて、展示会場にある屋台と、もう一体は韓国と日本を行脚しながらその映像を記録した屋台があり、その二体が最終的に展示会場で出会う。時間的、空間的な変化を経た屋台と、展示会場に留まり来場者を迎え続けた屋台が並ぶとどうなるのか、見てもらえればと思います。
記者会見の時に韓国と北朝鮮の境界で屋台を広げた話をされていましたが、そのエピソードをお聞かせください。
僕らって情報に流されて過ぎていますよね。北朝鮮のジャーナリスティックな状況を知りたいというよりは、もっとゆるい、国境まわりの人たちや雰囲気を、自分の肌で感じたかったんです。行ってみると、周りに住んでいる人たちの環境と国境を警備している人たちの感じが全然違った。僕らは緊張しながら屋台開いてライブしてたんですけど、普通に自転車でおじさんが近づいてきて、何やってるの?と。緊張感もまったくない(笑)。その感じが、普段ニュースで伝え聞いていることよりも、よっぽどリアルなものとして自分の中に入ってきました。
境界をテーマに作品を作ってこられて。境界はない方がいいと思いますか?
いいえ。境界があるから世界は成り立っているんだと思います。世界がひとつの国になればいいと言う人もいますが、それは無理な話なんですよ。境界は絶対にあるんだけれども、その在り方の問題なのかな。動物のテリトリーのような在り方なんだったら問題ないんだろうけど、ある特定の個人が力を持って無理矢理境界を作り出してしまうから問題が起こる。人間同士の自然な中和で出来ていく境界があれば、それは面白いんじゃないかなって思います。
Text & Photos_Keiko Kamijo
ネイチャー・センス展:吉岡徳仁、篠田太郎、栗林 隆
同時開催「MAMプロジェクト012:トロマラマ」
森美術館
開催中~11月7日(日)
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階
会館時間:10:00~22:00(火曜のみ17:00まで。ただし、11/2(火)は22:00まで)入館は閉館時間の30分前まで。会期中無休。
http://www.mori.art.museum/contents/sensing_nature/index.html
栗林 隆
1968年長崎生まれ。1993年武蔵野美術大学日本画科卒業後、2002 年にクンストアカデミーデュッセルドルフ(ドイツ)でマイスターシューラー取得。日本画の二次元空間で境界線によって二分される領域やレイヤーの多義性に向けられた関心を、渡欧以降は三次元の空間構成、インスタレーションへと発展させてきた。ケルン市立美術館(2003)やシンガポール国立博物館(2007)での個展のほか、シンガポール・ビエンナーレ(2006)など国際展への参加多数、十和田市現代美術館に収蔵展示(2009)。
http://www.takakuri.net
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