山村浩二 インタビュー


kojiyamamura02.jpg アニメーション作家、山村浩二の4年ぶりとなる新作『マイブリッジの糸』は、映画の発明に大きなインスピレーションを与えた写真家エドワード・マイブリッジの人生と、娘の成長を見守る母親の、ふたつの世界の対比から、〈時間〉を巡る様々なイメージを紡いでいく幻惑的な作品だ。〈時間〉という形を持たないモチーフをいかにアニメーションで表現するか、その試みは映像表現の本質に迫る果敢な挑戦であり、見る者を〈時間〉を思索する深遠な旅へと誘う。
また本作は、山村にとってカナダ国立映画制作庁(NFB)との初の共作となる。NFBといえば、実験アニメーションの巨匠、ノーマン・マクラレンをはじめ、キャロライン・リーフやジャック・ドゥルーアンなど、きわめて質の高いアニメーションを制作し、世界のアニメーションを語る上で欠くことのできない名門中の名門である。高校時代にNFB作品と出会ってからここで仕事をすることが夢だったと語る山村にとって、創作の原点ともいえるところだ。
〈時間〉と〈NFB〉、ともに原点回帰ともとれる意図を感じずにはいられない。その真意はどこにあるのか、話を聞いた。

作品のアイデアはいつ頃、どのようにして生まれたのですか?

『頭山』(2002)が終わって次の作品を考え始めたとき、これはいつものことですが、いくつかのアイデアを落書きのようにスケッチしました。そこに日常いないような動物--牛や馬が部屋にいる風景を描いて、これは面白いな、と思ったのが最初です。
もう一つ、ジル・ドゥルーズの映画史の本を読みなおしたとき、エドワード・マイブリッジ(※)がギャロップする馬の連続写真を撮影するのに糸を使っていた、という記述を見つけて、糸というモチーフからもすごくインスピレーションを得ました。動物と糸、この2つのイメージが作品の大きなアイデアになっています。
さらに根底にあったのが、自分の娘の成長でした。妻と、幼い娘はどこへ行ったんだろう?とよく話していて。同じ娘なのにまったく別人になっちゃうわけですよね。そのようなことを考えるうちに〈時間〉というものがテーマとして浮かび上がってきて、〈時間〉そのものを描きたい、と思うようになりました。
※エドワード・マイブリッジ(1830-1904)...イギリス出身の写真家。1878年、ギャロップする馬の連続動作の撮影に成功し、映画の発明に大きく寄与した。

kojiyamamura01.jpg 今回、NFBとの初の共作になりますが、きっかけはどのようなものだったのですか?

2006年にNFBプロデューサーのマイケル・フクシマさんにアイデアスケッチを見せたところ、二つ返事でやりたいと言ってくれました。マイケルさんは以前から僕の作品に注目してくれて、いつか声をかけようと思っていたそうなんです。また僕自身も、高校生の頃からずっと影響を受けてきた憧れのスタジオでしたし、『頭山』で国際的にも少しは作家として知られるようになってきたことだし(笑)、一度アプローチしてみようかな、という気持ちでした。
ただ、そのときはまだストーリーボードもなく、キャプションすら付いていないラフなスケッチを5、6枚送っただけなんですよ。そこがNFBの素晴らしいところで。僕としてはきっかけが作れればいいかな、ぐらいの気持ちだったのですが、こんな簡単でいいの?というぐらい何のディスカッションもなく(笑)。でも、それは本当にうれしかったですね。

作品はマイブリッジの歴史上のエピソードと、娘の成長を見守る母の物語の2つを軸に進んでいきます。その意図したところはなんですか?

マイブリッジ本人を出すか、実はずっと決めかねていたのですが、映画祭でロンドンへ行ったときに、マイブリッジの生まれたキングストン・アポン・テムズの博物館を見学して、マイブリッジ自身の人生に関心が移っていきました。ファンタジーだけでなく、ある程度現実的な要素も入れたほうが面白くなるかも、と思うようになったのです。そのうちマイブリッジの比重が大きくなり、最終的にはマイブリッジと母・娘で半々ぐらいになりました。

kojiyamamura03.jpg この作品ではまったく異なる2つの時間を描きたいと思いました。マイブリッジは実在の人物ですから、限られた年数を生きた人生の、いわば直線的な時間を持っている。一方、母と娘は円環する抽象的な、普遍的な時間を持たせたかった。だから、母と娘は特定の人物にしていません。一時は、母と娘を未来の設定にしようというアイデアもあったんですよ。マイブリッジが過去なので対比させようとしたのですが、あまりしっくりこなくて、母と娘の時代設定はぼかすことにしました。

〈時間〉という形のないものを描くことで、苦労されたことも多いのではないですか?

2003年頃からストーリーボードを描き始めたのですが、結構時間がかかりましたね。途中でシナリオを書いたり、またストーリーボードに戻ったり、実際に動画を描いてみたりと、しばらくはいろいろな作業を行ったり来たりして、4、5年は悩んでいました。
最大の問題は順番です。普通はリニア(直線的)の時間を設定した上で物語が進んでいきますよね。しかし、時間をテーマにした場合、リニアでない時間もあり得るわけで、時間の順序を入れ替えたり、長さを調整したりすることもできます。いわば時間の流れの背骨が見つからず、そこが難しかったですね。

kojiyamamura05.jpg 時間に対する個人的な思いはありますか?

それはすごくありますね。アニメーションを作ってきたから〈時間〉というテーマに行き着いたのかもしれません。アニメーションを作っていると、どうしても時間の本質を考えざるを得ないところがありますから。
アニメーションは時間そのものを扱うメディアだと思います。アニメーションでは描写される描画、ビジュアル面ばかりが注目されますが、それを支配しているのはフレーム間の差異です。フレームとフレームの差をいかに作っていくか、そこで時間の感覚を生み出してリズムやテンポを作っていく。時間をどう捉えてどう操作するか、ということを常に考えて実践しているわけです。
アニメーションは時間の芸術だと思っています。まったく時間のないフレームから映写するメディアを通すことで初めて時間が発生する。現実の時間を切り取る実写映画とは、ここの部分が根本的に違います。時間のない状態から時間を生み出すところは、アニメーションを作っていて面白いところですし、とてもやりがいを感じます。

今回の総作画枚数は6400枚。これは『頭山』や『カフカ 田舎医者』に比べると半分以下になりますが、理由はなんですか?

『頭山』(2002)や『カフカ 田舎医者』(2007)のように、レイヤーをたくさん重ねていって画面を複雑にしていく作り方がイヤになってきて、より素朴な、1つのフレームに1枚の絵を描くというアニメーション本来の作り方をしたいと思うようになったんです。そのほうがうまくいくことも、これまで作ってきた手応えとして感じていました。

アニメーションの原点に戻りたい、という気持ちがあったのでしょうか?

それはありましたね。これは勘違いされるかもしれませんが、今回は作ろうとして作りたくないな、と思っていたんですよ。アニメーションって作為的なものですよね。いろいろ考えて作らないと形にならないものですが、そうではなく、作りたいという自然な気持ちのままに、さっと描いたものがアニメーションにならないかな、という思いがありました。技術を持たず、ただアイデアが浮かんだだけではアニメーションになりませんから、そこでいつも四苦八苦するのですが、苦労を重ねて作為的に作るのではなく、自然に醸し出されたものがいつの間にか作品になっているような(笑)、そんな気持ちで作りたいと思いました。今回、それがある程度できたかなと思っています。

kojiyamamura04.jpg NFBとの初の共作になりますが、山村さんにとってNFBとはどのような存在ですか?

16歳のとき、高校の美術部の先生がNFBの作品を16ミリフィルムで見せてくれました。作品はノーマン・マクラレンの『隣人』(1952)とジャック・ドゥルーアンの『心象風景』(1976)だったのですが、それまで見たことないようなタイプのアニメーションで、とても衝撃を受けました。大学ではアニメーション研究会に入り、そこはノーマン・マクラレンや実験映画の好きな先輩が多かったものですから、日比谷図書館やカナダ大使館からNFBの作品をたくさん借りてきて鑑賞しました。そして、第1回広島国際アニメーションフェスティバル(1985)で、審査員で来ていたイシュ・バテルの回顧上映を見たのが、アニメーション作家になりたいと思った一番のきっかけでした。このように、要所要所でNFBから多くの刺激を受けてきました。
だから、今回、NFBで作ることができて本当にうれしかったですね。NFBのスタッフもみんな僕の作品を見てくれていて、作家として認識した上でNFBの仲間として温かく迎えてくれました。それは本当に有り難く、幸せでした。

日本とNFBで制作スタイルに違いはありましたか?

すごくいいな、と思ったのは、NFBは公共機関なので、基本的に9時から5時までなんです。MA(音の仕上げ作業)も5時に終わるんです。日本の制作スタイルではあり得ないですよね。でも、それできちんと成立して良い形になっているんです。限られた時間のなかで良いものを見極めて作っていく、そのスタンスは本当にいいなあと思いました。ものづくりってそんなにがつがつしなくてもいいかも、というのは、NFBのスタイルに触れて感じましたね。別に7年かかってもいいじゃない、みたいな(笑)。

音楽と音響デザインを担当したノルマン・ロジェさんは、フレデリック・バック作品など、アニメーション史に残る素晴らしい仕事を多数手がけています。ノルマンさんとの作業はどのようなものでしたか?

すごく感じたのは、職人でありアーティストだなと。監督の意向を汲みつつ、いろいろなアイデアの引き出しがあって、こんなアイデアもある、こんなふうにもできると、音の専門家として様々な助言を与えてくれて、自分のアイデアをごり押しすることなく、監督の意向にプラスアルファして形にしていく人ですね。アニメーションの伝統を担ってきたノルマンさんとひとつの形を残せたことに、とても満足しています。

kojiyamamura06.jpg 本作で使用しているバッハの「蟹のカノン」は、楽譜を裏面から読んでも同じ曲として成立するというユニークな構造を持っています。この曲を選んだ理由はなんですか?

時間というテーマを考えていくなかで、回文みたいな構造を持った「蟹のカノン」が面白いと思うようになり、自然と作品に取り入れていました。時間の逆行です。また、今回は様々な動物が時間のメタファーになっているので、蟹も重要なモチーフになると思い、かなり初期からアイデアを考えていました。
リニアでない時間を作品というリニアな流れの中で見せるとき、その並びをどうするかで悩んでいたのですが、「蟹のカノン」自体がリニアでありながら、逆走する構成なので、この構造を使えばできるかもしれない、と思ったんです。
ただ、このままではあまりにバロック的な印象が強く、映画音楽としてもっと抽象化できないか、考えました。そこでいつも音楽を手伝ってもらっている冷水ひとみさんに、テンポを変えたバージョンをいくつか電子音で弾いてもらい、その仮の音楽を映像のベースにしました。
あらかじめ曲の長さが決まってくると、映画として見やすい構成が見えてきます。例えば母と娘のシーンも、最初は30シーンぐらい考えていたのですが、曲の長さからそこまで入れられなくなり、徐々に切り詰めていきました。

本作は7年を費やした労作ですが、完成したときはどのようなお気持ちでしたか?

2010年12月、最後のMAが終わったあと、NFBのプロデューサーやスタッフ、アニメーション作家を60人ほど集めて、NFB内で試写を行ったんですよ。その時が一番感慨深かったですね。自分は感動しないと思っていたのですが(笑)、試写でマイケルさんが挨拶したときに声を詰まらせているのを見たら僕もジーンときてしまって、あ、ヤバいなと思って(笑)。NFBの会長も含め、本当にたくさんの方に来ていただいて、しかも、皆さんの反応もよかったので、そのとき、自分の中で、できた、という喜びと、手応えを感じましたね。

最後に、山村監督の新作を待ち望んでいるファンの方へ、ひとことお願いします。

自分で説明してしまうとつまらないですから、いろいろな見方をしてもらったほうが面白いと思います。作品に身を任せて見てもらえれば、その人の感性のどこかに引っ掛かる部分があるかと思います。その仕掛けは山ほど作っているつもりです。それをどう受け止めるか、どのように感じ取るか、その広がりを感じて見ていただけるとうれしいですね。

『マイブリッジの糸』
2011年9月17日(土)-2011年10月7日(金)
会場:東京都写真美術館ホール
東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
配給:ポリゴン・ピクチュアズ /ヤマムラアニメーション
公式サイト:http://www.muybridges-strings.com/
twitter:@MuybridgeNoIto
facebook:http://www.facebook.com/MuybridgeNoIto

Text_Takashi Michikawa
Edit_Keiko Kamijo


山村浩二(やまむらこうじ)
アニメーション作家。
1964年名古屋市生まれ。
多彩な技法で短編アニメーションを制作。
代表作に『頭山』、『年をとった鰐』、『カフカ 田舎医者』など。
http://www.yamamura-animation.jp/

© 2012 cat's forehead